本当のわたしたちはみんな大空のようにずっと広がりきって静まりきっています                                      本当のわたしたちはみんな大いなるひとつなる静寂なる存在です
ramana

10、どうすれば心は静かになるのでしょうか?

「私は誰か?」
と尋ねることによってである。

「私は誰か?」
という想念は他のすべての想念を破壊するだろう。

そして燃えている薪の山をかき混ぜる木の棒のように、ついには
「私は誰か?」
という想念そのものも滅ぼされてしまうだろう。

そのとき真我は実現されるだろう。

11.「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?

他の想念が起こっても、それを追いかけることをやめ、
「この想念は誰に起こったのだろうか?」
と尋ねるべきである。

どんなに多くの想念が起ころうとかまわない。
想念が起こるたびに
「この想念は誰に起こってきたのか?」
と入念に探究すべきである。

それに対して現われる答えは
「私に」だろう。

そこですぐに
「私は誰か?」
と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるだろう。

このように修練を繰り返せば、
心は源にとどまることに熟達するだろう。


微細な心が脳や感覚器官を通って外に出ると
粗大な名前や形が現われる。

心がハートの中にとどまっていれば
名前と形は消え去る。

心を外に出さずにハートの中にとどめておくことは
「内にあること」(アンタール・ムカ)
と呼ばれる。

心をハートから外へ出させることは
「外へ向かうこと」(バヒール・ムカ)
として知られる。

このように、心がハートの中にとどまっているとき
すべての想念の源である「私」は消え去り
永遠に存在する真我が輝き出す。


人は何をするときにも
「私」という自我性なしにそれをすべきである。

もしそのように行動すれば、
すべてはシヴァ神の本性として現われるだろう。

~ ラマナ・マハルシ対話集「私は誰か?」より ~

完全にこの瞬間に存在すると
思考は停止し心(マインド)は沈黙します。

あなたは思考を停止させようとはしていません。

この瞬間に存在すると
心(マインド)がただ沈黙するのです。

ところで

表に現われようと待つ

さらに深い段階の内なる平和と沈黙があります。

心(マインド)が静まり返ると

内奥の扉が開かれて

無限で永遠なる静寂が

あなたの「大いなる存在」の中心核から出現するのです。

この無限で永遠なる静寂が

あなたの「大いなる存在」のまさに心髄です。

これがあなたの真の本質

そして、万物の本質です。

これが純粋意識という永遠なる存在(プレゼンス)です。

これがあなたの内なる「神との一体の自己( I AM )」です。

あなたのその側面がこの瞬間、

ただこの瞬間にだけに存在しています。


あなたのその側面が一体性(ワンネス)の中に存在しています。

これがあなたの仏陀の性質です。

これが神と一体の一体性(ワンネス)に存在する

あなたの内なる「キリスト」です。

~ レナード・ジェイコブソン 「今この瞬間」への旅 より ~

【2013/07/01 20:38】 | 覚者たちからのメッセージ
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「今この瞬間」の静寂の中には

過去も未来も存在しません。

思考、意見、概念、信念も存在しません。

批判も存在しません。

善悪も存在しません。

有罪、救済も存在しません。

絶望、希望も存在しません。

非難、罪悪感も存在しません。

期待、憤慨も存在しません。

恐怖、欲望も存在しません。

分離も存在しません。

区切り、境界線も存在しません。

ただ「今」という瞬間があるだけです。

「今この瞬間」の静寂の中には
国籍や民族は存在しません。

宗教も存在しません。

所有権、所有物、支配権も存在しません。

結果も存在しません。

ただ「今」という瞬間があるだけです。

~ レナード・ジェイコブソン 「今この瞬間」への旅 より ~

【2013/06/30 20:15】 | 覚者たちからのメッセージ
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完全にこの瞬間に存在して
心(マインド)が沈黙すると
あなたは純粋意識の状態になります。

その小さな一片の雲が
広大な青空を全部覆い隠すことができると思いますか。

もちろん、それはあり得ません。

しかし、
あなたがその小さな一片の雲と一体になるか、
そのことを信じるか
または、その小さな雲を何とかして消そうとして
その一片の小さな雲に巻き込まれると
気づくとあなた自身がその雲に吸い込まれているでしょう。

広大な青空はもうあなたには見えなくなり
あなたには開かれていません。

その一方で、
思考が浮かんできたときに
ただその思考を観つめて
その思考に賛成も反対もしなければ
あなたは広大な大空に開かれたままでいられます。

あなたが考えるのを止めなければ
突然、何千もの小さな雲が沸き起こって
広大な青空は覆われてしまうでしょう。

その青空は消えてはいません。

青空はずっと存在したままなのですが
あなたの青空の意識が絶え間ない思考によって覆われてしまったのです。

そうなると
あなたは広大な青空とのつながりが断たれてしまいます。

その広大な青空のような
あなたの真の性質である純粋意識、無限性、沈黙、永遠性から
あなたは切り離されてしまうのです。

~ レナード・ジェイコブソン 「今この瞬間への旅」より ~

【2013/06/23 18:37】 | 覚者たちからのメッセージ
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シャンカラ

目覚めるまでは、夢は真実であるように、
真我の知識が得られるまでは、
身体と真我との同一性は真実であり、
直接知覚などが知識根拠であることや覚醒状態も真実である。

身体を真我と同一視するものは苦しむ。
身体を持たないもの(=真我)は、熟睡状態にあるときと同じく、
覚醒状態において本来苦しむことはない。
見る者(=真我)から苦を取り除くために、
聖典チャーンドーギャ・ウパニシャドなどは、
「汝はそれである」といっているのである。

もし「私のもの」とか「私は」という観念や努力や欲求は、
本性上、真我にはない、ということを知ったならば、
自己自身に安住し続けよ。
努力は一体何の役に立つであろうか。

「私」、すなわち「自分自身」という観念も、
「私の」すなわち「自分自身の」という観念も、無意味となるとき、
その人は真我を知っている者となる。

それは、全体であり、一切に遍満し、静寂であり、穢れなく、
虚空のように安定し、部分をもたず、行為をもたず、一切であり、
常住であり、二元対立を超えている、と知るべきである。

もし人が、「私の」「私」というこの観念をすっかり捨てて、
この境地に対して確信をもつにいたれば、解脱する。

~ シャンカラ著 ウパデーシャ・サーハスリーより ~

シャンカラは8世紀に活躍した中世インドの思想家。
梵我一如思想、不二一元論を提唱した。

【2013/06/23 13:46】 | 覚者たちからのメッセージ
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