本当のわたしたちはみんな大空のようにずっと広がりきって静まりきっています                                      本当のわたしたちはみんな大いなるひとつなる静寂なる存在です
数知れぬ経験を引きずることなく、精神は常に純真であらねばならない。

その純真さがなければ自由はない。

昨日に対して完全に死ぬことで純真な心が生まれる。

しかし大抵、我々は昨日を捨てようとはしない。

我々はいつも昨日の経験を引きずり、記憶を引きずり、

そして精神を一箇所に固定させてしまう。

そこから昨日と明日という心理的な時間が生まれ、

その心理的時間が過去の後悔や罪悪感、未来への不安や憂慮を生んでいる。

人は毎日、精神が固執しているものに対して死ななければならない。

そのような放棄がないかぎり、自由というものは決してない。

自由の中で初めて純真な心は花開くのである。

純真な心は昨日も明日も引きずらず、ただ「今」を生きる。

それゆえそのような心は腐敗や停滞を知らず、

常に活き活きとして自由であり、瑞々しい新鮮さで溢れている。

その心は無垢であるがゆえに無限に広がる感受性を持っている。

そしてその心情の無量性こそは、本当の宗教的精神なのである。

~ クリシュナムルティ ~

【2013/07/02 19:31】 | クリシュナムルティ
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学ぶ、ということはとても重要なことです。

学ぶと言っても、それは単に試験に受かるためのものではありません。
「生」そのものから学ぶことが重要なのです。
そしてそれは、あなた自身が自分で学ばなければならないものです。
学校では教えられないものが人生にはたくさんあります。
その発見や理解は誰かに教わるものではなく、
あなた自身から起こらなければなりま せん。

本当に学ぶということは、一生を通して学ぶことであり、
特に教師や指導者というものは必要ないのです。

生それ自体が、あなたにたくさんのことを教えてくれるのです。
枯れ葉、空を飛ぶ鳥、大地に咲く花の香り、
町に溢れる豊かな者と貧しい者、お金の醜さや田舎の静けさ、
泣いている人、女性の微笑み、男の傲慢さ。

あなたは生のあらゆるものに学びます。
生それ自体が師であり、教師です。
生のすべてがあなたに教えてくれるのです。
生が学びであり、学びは生の全体の中にあるということ。
このことを悟るならば、あなたは絶えず学びつつある境地にあります。

学びに終わりはないということ、それが人生です。

~ クリシュナムルティ ~

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【2013/06/30 20:24】 | クリシュナムルティ
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クリシュナムルティ

美しいものを眺め、観察し、注意の全てを傾けるには、
心はあらゆる心配事から自由でなければなりません。

世界の驚異、その神秘の世界に心を開くためには、
問題や悩み事によって心が縛られていてはいけないのです。
心が自由でないならば、どうして心を開くことができるでしょうか?
心が開かれていないならば、美しいものに対する感受性も生まれません。

観察できる心、注意を傾けられる心とは一体何でしょうか。
それは静寂なる心です。
事物を本当に観察ができるのは、心が静寂に溢れているときだけです。
心が静寂であれば、美や神秘に対する感受性が鋭敏になります。
しかし、心が様々な不安や悩みを抱え、
絶えず静寂が乱されているならば感受性も失われます。

静寂な精神であることこそ、真の宗教的なことです。
生というものがより広く、より深くなるためには、
心は自由でなければならず、そして心の自由は静寂から生まれます。
その静寂の心こそ、とてつもない世界の美に対して、
無限に広かる感受性を開け放つことができるのです。

~ クリシュナムルティ ~



ジッドゥ・クリシュナムルティ(英語:Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)はインド生まれの宗教的哲人、教育者。

既存の宗教や哲学によらず、生を通しての十全な気付きにより、
精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。
洞察による脳細胞の変容などを指摘した彼の教えは
その現代的なアプローチから宗教という枠にとどまらず、幅広い支持者を獲得した。

~ ウィキペディアより ~

【2013/06/23 10:14】 | クリシュナムルティ
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