本当のわたしたちはみんな大空のようにずっと広がりきって静まりきっています                                      本当のわたしたちはみんな大いなるひとつなる静寂なる存在です
大空です^^

先日、仏陀釈迦牟尼が成道した直後に五人の弟子たちに初めて説いたとされている「初転法輪」を自分で分かりやすく学習するために、いくつかの「初転法輪」の翻訳を参考にしながら、自分で訳してみました。

みなさんにその訳を紹介します。


※如来という言葉のパーリ語の原語は「タターガタ」です。

「タターガタ」をパーリ語の意味から正確に訳すと

「真理到達者」になります。


「中道」という言葉は

サンスクリット語で「マディヤマー・マールガ」で

パーリ語で「マッジマー・パディパダー」で

日本語で「中心に向かう道」と訳しました。


「このようにわたしは聞いた」の「わたし」は

仏陀の説法を侍者として長年多く聞いていたアーナンダとされています。


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初転法輪 ~ 初めて真理到達者が法輪を回転させなさったこと


~ 真理到達者がお説きになったこと ~ 
 


このようにわたしは聞いた。

あるとき、世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにとどまっておられた。

そこで世尊は五人の修行者たちにこのようにお説きになった。


「修行者たちよ、苦しみの滅尽に向かう修行者は二つの極端な道を実践してはならない。

二つの極端な道とは何であろうか。


一つは外に向かって喜びを追求する道である。

この道は苦しみの滅尽に向かわず、聖なる道ではなく、利益をもたらさない。


一つは外に向かって苦しみを追求する道である。

この道は苦しみの滅尽に向かわず、聖なる道ではなく、利益をもたらさない。


修行者たちよ、真理到達者はこれら二つの外に向かう極端な道を放棄し

中心に向かう道を現実に正しく理解したのである。

この道は目を開き、静寂・証智・正しい理解・苦しみの滅尽をもたらす。


修行者たちよ、真理到達者が現実に正しく理解した、眼を生じ、精通を生じ、静寂・証智・正しい理解・苦しみの滅尽をもたらす中心に向かう道とは何であろうか。


これは八つの正しい道である。

つまり、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい精神集中である。

修行者たちよ、これが真理到達者が現実に正しく理解した、眼を生じ、精通を生じ、静寂・証智・正しい理解・苦しみの滅尽をもらたらす中心に向かう道である。


修行者たちよ、苦しみの真理とはこれである。

生まれることは苦しみであり、老いることは苦しみであり、病になることは苦しみであり、死ぬことは苦しみである。

愁うこと、悲しむこと、苦しむこと、痛むこと、悩むことは苦しみである。

怨み憎んでいる者に会うことは苦しみである。

愛する者と別離することは苦しみである。

求めても得られないことは苦しみである。

つまり、五取蘊は苦しみである。

(五つのとらわれの集まり・肉体、感覚、表象、意志、識別)


修行者たちよ、苦しみの生起の真理とはこれである。

それは再生に導き、外側に向かう喜びであり、愛着に巻き込まれ、様々な対象に喜びを見出す渇愛である。

つまり、欲に対する渇愛、形あるものに対する渇愛、形なきものに対する渇愛である。
    
   (欲界に対する渇愛 色界に対する渇愛   無色界に対する渇愛)


修行者たちよ、苦しみの滅尽の真理とはこれである。

それはまさにそれらの渇愛から離れ、滅し、放棄し、解放され、執着しないことである。


修行者たちよ、苦しみの滅尽に向かう道とはこれである。

それはまさに八つの正しい道である。

つまり、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい精神集中である。


修行者たちよ、「これは苦しみの真理である」と、私にはかつて聞いたことのない法則において
眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの真理は理解できる」と、私にはかつて聞いたことのない法則において
眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの真理を理解した」と、私にはかつて聞いたことのない法則において
眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「これは苦しみの生起の真理である」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの生起の真理は捨断できる」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの生起の真理を捨断した」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「これは苦しみの滅尽の真理である」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの滅尽の真理は現証できる」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの滅尽の真理を現証した」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「これは苦しみの滅尽に向かう道である」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの滅尽に向かう道は修習できる」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、「苦しみの滅尽に向かう道を修習した」と、私にはかつて聞いたことのない法則において眼が生じ、精通が生じ、智慧が生じ、明知が生じ、光が生じた。


修行者たちよ、私はこの四つの真理を三転十二相に行じることによって如実智見がいまだすべて清浄とならなかった間は
修行者たちよ、私は天・魔・梵天の世界、沙門、婆羅門、人、天の衆生界において無上の最上正覚を現正覚したと宣言しなかった。

修行者たちよ、私はこの四つの真理を三転十二相に行じることによって如実智見がすでにすべて清浄となったがゆえに
修行者たちよ、私は天・魔・梵天の世界、沙門、婆羅門、人、天の衆生界において無上の最上正覚を現正覚したと宣言した。


また私に精通と見解が生じた。

「私の解脱は不動である。これは私の最後の生である。私はもはや再生することはない」と。


世尊はこのようにお説きになった。

五人の修行者たちは大喜びして世尊のお説きになったことを受持した。

そして世尊がこの教えをお説きになっていたとき、尊者コーンダンニャに塵を離れ垢を離れた法眼が生じた。

「生じたものは滅する」と。


このように世尊が法輪を回転させなさったとき、地上にいる神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」



地上にいる神々の声を聞いて、四天王の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


四天王の神々の声を聞いて、トウリ天の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


トウリ天の神々の声を聞いて、夜摩天の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


夜摩天の神々の声を聞いて、兜率天の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


兜率天の神々の声を聞いて、楽変化天の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


楽変化天の神々の声を聞いて、他化自在天の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


他化自在天の神々の声を聞いて、梵天の神々は声を発した。

「世尊はバーラナシーのイシパタナ・ミガダーヤにおいて、無上の法輪を回転させなさった。

これは沙門、婆羅門、天、魔、梵天、世界中の誰によっても反転させることはできない。」


このように、その刹那、その瞬間、その瞬く間に梵天の世界まで声が届いた。

そして、無量で巨大な光明が天の神々の威力を超えて世界に現れた。


直ちに世尊は大喜びして言った。

「コーンダンニャが理解した。コーンダンニャが理解した」と。

これによって、コーンダンニャはアンニャータ(理解した)・コーンダンニャと呼ばれるようになった。


時に世尊は法則を説いて、その他の修行者を教え導き教誡した。

時に世尊が法則を説いて教え導き教誡したとき

尊者ヴァッパと尊者バッディヤに塵を離れ垢を離れた法眼が生じた。


「生じたものは滅する」と。


彼らはすでに法則を見て、法則を得て、法則に悟入して

疑惑を越え、怠惰を除き、平安を得て、師の教えを除いて他に依ることなく、世尊に言った。

「私たちは願わくば世尊のみもとにおいて出家して具足戒を得ましょう。」

世尊は言った。

「来なさい、修行者。法則はよく説かれた。正しく苦しみを滅尽するために聖なる修行を行いなさい。」

これがかの尊者たちの具足戒であった。


 
時に世尊は施物を食しながら、法則を説いてその他の修行者を教え導き教誡した。

三人の修行者が托鉢に行き、その得たところによって六人は暮らした。


時に世尊は法則を説いて、その他の修行者を教え導き教誡した。

時に世尊が法則を説いて教え導き教誡したとき

尊者マハーナーマと尊者アッサジに塵を離れ垢を離れたの法眼が生じた。


「生じたものは滅する」と。


彼らはすでに法則を見て、法則を得て、法則に悟入して

疑惑を越え、怠惰を除き、平安を得て、師の教えを除いて他に依ることなく、世尊に言った。

「私たちは願わくば世尊のみもとにおいて出家して具足戒を得ましょう」。

世尊は言った。

「来なさい、修行者。法則はよく説かれた。正しく苦しみを滅尽するために聖なる修行を行いなさい。」

これがかの尊者たちの具足戒であった。



時に世尊は五人の修行者に告げて説いた。


「修行者たちよ、肉体は我ではない。

修行者たちよ、もしこの肉体が我であったならば、この肉体は病むことはないだろう。

肉体において『私はこの肉体を用いよう、あの肉体を用いないようにしよう』ということができるだろう。

修行者たちよ、しかし肉体は我ではないがゆえに、肉体は病み、肉体において

『私はこの肉体を用いよう、あの肉体を用いないようにしよう』ということができない。


感覚は我ではない。

修行者たちよ、もしこの感覚が我であったならば、この感覚は病むことはないだろう。

感覚において『私はこの感覚を用いよう、あの感覚を用いないようにしよう』ということができるだろう。

修行者たちよ、しかし感覚は我ではないがゆえに、感覚は病み、感覚において

『私はこの感覚を用いよう、あの感覚を用いないようにしよう』ということができない。


表象は我ではない。

修行者たちよ、もしこの表象が我であったならば、この表象は病むことはないだろう。

表象において『私はこの表象を用いよう、あの表象を用いないようにしよう』ということができるだろう。

修行者たちよ、しかし表象は我ではないがゆえに、表象は病み、表象において

『私はこの表象を用いよう、あの表象を用いないようにしよう』ということができない。


意志は我ではない。

修行者たちよ、もしこの意志が我であったならば、この意志は病むことはないだろう。

意志において『私はこの意志を用いよう、あの意志を用いないようにしよう』ということができるだろう。

修行者たちよ、しかし意志は無我であるがゆえに、意志は病み、意志において

『私はこの意志を用いよう、あの意志を用いないようにしよう』ということができない。


識別は我ではない。

修行者たちよ、もしこの識別が我であったならば、この識別は病むことはないだろう。

識別において『私はこの識別を用いよう、あの識別を用いないようにしよう』ということができるだろう。

修行者たちよ、しかし識別は我ではないがゆえに、識別は病み、識別において

『私はこの識別を用いよう、あの識別を用いないようにしよう』ということができない。


「修行者たちよ、あなたたちはどう思うか。肉体は永遠であろうか、無常であろうか。」

「無常です。」

「無常であるものは苦であろうか、楽であろうか。」

「苦です。」

「無常、苦にして変化の法則を有するものを見て

『これは私のものである。これは私である。これは私の本質である』ということができるだろうか。」

「できません。」


「感覚は永遠であろうか、無常であろうか。」

「無常です。」

「無常であるものは苦であろうか、楽であろうか。」

「苦です。」

「無常、苦にして変化の法則を有するものを見て

『これは私のものである。これは私である。これは私の本質である』ということができるだろうか。」

「できません。」


「表象は永遠であろうか、無常であろうか。」

「無常です。」

「無常であるものは苦であろうか、楽であろうか。」

「苦です。」

「無常、苦にして変化の法則を有するものを見て

『これは私のものである。これは私である。これは私の本質である』ということができるだろうか。」

「できません。」


「意志は永遠であろうか、無常であろうか。」

「無常です。」

「無常であるものはであろう苦か、楽であろうか。」

「苦です。」

「無常、苦にして変化の法則を有するものを見て

『これは私のものである。これは私である。これは私の本質である』ということができるだろうか。」

「できません。」


「識別は永遠であろうか、無常であろうか。」

「無常です。」

「無常であるものは苦であろうか、楽であろうか。」

「苦です。」

「無常、苦にして変化の法則を有するものを見て

『これは私のものである。これは私である。これは私の本質である』

ということができるだろうか」

「できません。」


「このゆえに修行者たちよ、

一切の過去・未来・現在の肉体の、あるいは内、あるいは外、あるいは粗雑なもの、あるい微細なもの、
あるいは劣ったもの、あるいは優れたもの、あるいは遠いもの、あるいは近いものである一切の肉体は、

『これは私のものではない、これは私ではない、これは私の本質ではない』

と、このように正しい智慧をもってありのままに観察するべきである。


一切の過去・未来・現在の感覚の、あるいは内、あるいは外、あるいは粗雑なもの、あるいは微細なもの
、あるいは劣ったもの、あるいは優れたもの、あるいは遠いもの、あるいは近いものである一切の感覚は

『これは私のものではない、これは私ではない、これは私の本質ではない』

と、このように正しい智慧をもってありのままに観察するべきである。


一切の過去・未来・現在の表象の、あるいは内、あるいは外、あるいは粗雑なもの、あるいは微細なもの、
あるいは劣ったもの、あるいは優れたもの、あるいは遠いもの、あるいは近いものである一切の表象は

『これは私のものではない、これは私ではない、これは私の本質ではない』

と、このように正しい智慧をもってありのままに観察するべきである。
 

一切の過去・未来・現在の意志の、あるいは内、あるいは外、あるいは粗雑なもの、あるいは微細なもの、
あるいは劣ったもの、あるいは優れたもの、あるいは遠いもの、あるいは近いものである一切の意志は

『これは私のものではない、これは私ではない、これは私の本質ではない』

と、このように正しい智慧をもってありのままに観察するべきである。


一切の過去・未来・現在の識別の、あるいは内、あるいは外、あるいは粗雑なもの、あるいは微細なもの、
あるいは劣ったもの、あるいは優れたもの、あるいは遠いもの、あるいは近いものである一切の識別は

『これは私のものではない、これは私ではない、これは私の本質ではない』

と、このように正しい智慧をもってありのままに観察するべきである。


修行者たちよ、多聞の聖なる修行者がこのように観察すれば

すなわち肉体を遠離し、感覚を遠離し、表象を遠離し、意志を遠離し、識別を遠離する。

遠離すればすなわち離貪する。

離貪すればすなわち解脱する。

解脱すればすなわち『私はすでに解脱した』という智慧が生じ

『生はすでに尽き、聖なる修行はすでに完成し、なすべきところはすでになされ、もはや再生することはない』

と知る。」


世尊がこのように説いたとき、五人の修行者は歓喜して世尊の説いたところを信じて受持した。

また世尊がこの教えを説いていたとき、五人の修行者は執着なくあらゆる漏れから心が解脱した。

そのとき、世間に阿羅漢は六人となった。


ブッダ ガンダーラ
ハートから光を発する
銀河スピン型のトーラス (2)




【2017/02/10 17:23】 | 大空からのメッセージ
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